東京の名店が軒を連ねた 幻の五軒荘の歴史が明らかに

幻の存在だった五軒荘

 1920年代、御膳水の近く、旧軽井沢ゴルフ場の向かいに五軒荘と呼ばれる長屋があった。東京の名店が5軒入っていたので、その名で呼ばれていた。1940年代に解体され、営業はわずか20年間程。80年近い年月が経っていることもあり、ほぼ資料のない幻の存在だった。この度、関係者と軽井沢新聞社の調査により、五軒荘に入っていた店舗が明らかとなり、当時の写真などが見つかった。

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五軒荘の場所は現在、ホテル鹿島ノ森の一画になっている

東京の名店5軒が判明

 大正11年、軽井沢で最初のゴルフ場が誕生する。これは軽井沢ゴルフ倶楽部が野澤組の土地を借りて運営していた9ホールのゴルフコースだ。同ゴルフ倶楽部は昭和7年に南軽井沢に新たに18ホールのゴルフ場を建設、旧軽井沢のゴルフコースを野澤組に返還した。野澤組は「旧軽井沢コース」という名称で一般客を受け入れるようにし、ゴルフ場の道向かいに料理店などが入る「五軒荘」を用意。この5店舗は「重箱(鰻)」、「地久庵(蕎麦)」、「米倉(理容店)」、「花月(料亭)」、「弁天山(寿司)」であることが判明した。内3店は今も東京で営業している。

戦時下で守られた壺の中身

 弁天山美家古寿司の5代目親方・内田正さんは、4代目で父・栄一さんの時代に五軒荘へ出店していたと話す。

「ゴルフのクラブハウス代わりに飲食店があったそうです。戦争が激しくなり、そのまま休業したと聞きました」。戦争で東京の店舗も被害に遭い、代々受け継いできた寿司屋の大事なタレといわれる「ツメ」を失い困っていた。そんな時、五軒荘を取り壊すから荷物を取りに来てほしいと言われて軽井沢へ行ってみると、壺が一つ見つかった。その中に「ツメ」が残されていたので、無事に営業を再開できた。「そのおかげで、慶応2年から継ぎ足してきたツメを今も使い続けています」と内田さんは感慨深そうに語った。

 『軽井沢ヴィネット』上巻(4月18日発売)では、五軒荘の詳細な記事や貴重な写真を掲載している。

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都内の弁天山美家古寿司の前に立つ4代目。

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